第5話|日本酒の歴史
#01日本の発酵文化の歴史、最終回の第5話は「日本酒」の歴史についてご紹介していきます。
縄文時代末期より。神様のために
日本酒の起源に関しては諸説ありますが、稲作が伝来した縄文時代末期にはすでに麹を使用した酒造りがなされていたと考えられています。
日本酒の歴史は神事と深く結びついてきました。
中でも有名なのが『大隅国風土記』に記される「口噛みの酒」です。
巫女が噛んだ米を容器に吐き出し、酒を醸していたとされています。これは巫女にのみ許されていたので、神のために造られていたお酒だと考えられます。
奈良時代には造酒司(さけのつかさ)という役所で巫女による計画的な酒造りが行われており、神事に用いられていました。
その後平安時代には僧侶が寺院で酒造りを始め「僧坊酒」が広まります。当時は神仏習合が一般的であった為、やはりこのお酒も神社に供えられていました。この頃から技術改良も進み、様々な製法の記述が見られます。
酒造は京都から全国へ
武家社会になり、全国へ
鎌倉時代になると酒の流通が広がり京都を中心に酒蔵が造られますが、酒で身を持ち崩す武士も出てきたため、禁酒令が公布され酒の流通はかなり抑えられました。しかしながら続く室町時代には幕府が酒蔵を貴重な財源として保護した為、京都を中心に酒造りが発展しました。
戦国時代には寺院勢力の衰えと共に僧坊酒も衰退。変わって楽市・楽座制度により誰でも自由に商売ができるようになった為、各地の武将が自国の酒売りを推奨し、酒は全国に広がりました。特にこの時期に伊丹の酒が人気を博します。
江戸時代に入っても上方のお酒は人気で、灘が最大の生産地となり船で大量輸送され江戸の街で人気を博しました。
この時期には醪を安全に発酵させるために原料を三回に分けて投入する「段仕込み」、雑菌が繁殖しにくい寒い冬に酒造りを行う「寒造り」、低温殺菌法である「火入れ」といった今の日本酒作りにも引き継がれる製法が確立し、品質が大きく向上しました。
技術革新により最高品質へ
明治時代以降は貴重な財源として国のサポートを受け、科学技術の発展も相まって日本酒の改良が進みます。しかしながら戦後の高度経済成長期にはビールやウイスキー、ワインなどが普及し、日本酒の人気は下降線を辿ることになります。
こうした状況の中、平成時代に入ると淡麗辛口の日本酒を新たに開発した新潟県産酒を中心に人気を回復し、各地で続々と吟醸酵母が作られ飲みやすい日本酒が人気を博すようになりました。現在では各蔵元が個性を活かした酒造りを展開し、日本酒は国内外で広く親しまれています。
日本酒に合う。味噌を使ったアレンジレシピ
ホタルイカと九条ネギの柿酢を使った酢味噌和え
作り方
- 味噌・柿酢・砂糖をを同量で合わせ、少し置いておく
- ホタルイカは目と口を取り、生の場合は軽く茹でておく
- 九条ネギを3cm程度に切り、2分ほど茹でておかあげする。ネギは少しくたっとなるまで茹でる。
- ホタルイカとネギを混ぜ、1の酢味噌で和える
- 器に盛り付け、小口切りにした九条ネギとスプラウトで飾りつける
材料
- ホタルイカ(茹でたもの)
- 味噌・柿酢・砂糖:同量
- 九条ネギ:適量
- スプラウト:適量
レシピ考案者
國本 祥史|Yoshifumi Kunimoto
株式会社ワングローバル 本部長
2009年渡仏。シャンゼリゼ通りの5つ星ホテル(La Maison du Champs Elysee)内レストランにて部門シェフ兼副料理長を担当するなど数多くのレストランでの経験を経て2019年帰国。
今回のおすすめ商品
<岩手県>白味噌(750g)
(藤勇醸造株式会社)
<和歌山県>柿酢(300ml)
平たねなし柿100%の酢
直径64mm×高さ198mm
(田村造酢株式会社)